小紅色

食と趣味と息子の話

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3.11 10年前を振り返る

こんにちは、小紅色です。

震災から10年、あの日を思い返そうと思います。

 

不幸中の幸い

我が家はあの日、偶然が重なりちょうど家に着いて家族が一緒の時でした。何かに守られているとしか言いようのないくらいの偶然です。家に着いて玄関にいた時でしたので、ドアを開けたまま揺れを収まるのを待ちました。家の中の様子は分かりません。揺れが収まってから家に入りました。

 

耐震ラッチすごい!

色々飛び出てるだろうなーと思いながら家の中へ。知らずに買ってた食器棚に耐震ラッチが付いていたおかげで食器棚の戸が開くことはなく、奇跡的に皿の1枚も割れずに済みました。揺れの方向的にもよかったようです。キッチンに備え付けの吊戸棚にも耐震ラッチが付いていたのでキッチンでの破損はゼロでした。マンションの1階だったことも幸いだったんだと思います。

 

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実際の食器棚。揺れるとロックがかかります。

あとで近くの友達の家を訪ねると、冷蔵庫と食器棚が倒れており、しかも引き戸の食器棚の扉ごと外れて割れた食器が散乱していたのを思い出します。 

 

ライフライン

電気とガスは止まりましたが、水が使えたのは大きかったです。ガスコンロとガスボンベが2本あったので調理はなんとかできました。ただ福島で原発事故があったので、外気に触れないようにと言われ、停電してるので換気扇は使えず、十分な換気ができないなか室内でガスコンロでの調理は不安でした。その後、電気は4日くらいで復旧し、やっと洗濯ができてほっとしたのを覚えています。ガスは復旧まで1ヶ月かかりました。お風呂だけ困りましたが、夫の会社の人が電気でお湯を温めるお風呂ヒーターを貸してくれたのですごく助かりました。

 

後から知る恐怖と悲しみ

当時は停電してテレビも見れず、情報も少なく状況がよく分からない感じでした。沿岸部ではなかったので、余震の揺れと原発の見えない放射線の影響だけがちょっと怖いなという感じでした。後から状況を知り、そして毎年この時期テレビで特集するのでほんとに辛くなります。

震災当時はあまり怖がらなかった息子も、先日の地震はすごく怖がりました。地震のあとに起きる惨状や悲劇を知ってしまい、感受性の強い息子にはしんどいようです。

 

感謝

 思い返すたびとほんとにツイてたとしか言いようがないです。当時夫の勤務地は沿岸部でしたが、たまたま着替えに家に帰えってきてた時でした。おかげで命も助かったし車は流されず、ガソリンも満タンにしてたので少し落ち着いてから一度実家に帰省し必要なものを調達することができました。親戚のお姉さんからも電話があり、きっとご先祖様が守ってくれたんだよ、と言ってて当時はそうなのかな~くらいに思ってました。今ではご先祖様に守られたと信じられます。そして震災後ライフラインが完全に復活するまでの1か月をうまく乗り切れたのも感謝です。

 

もう二度と経験したくない

自然災害の多い国なので何があるか分からない日々ですが、もう2度と経験したくないですね。ありきたりですが、命を大切に、当たり前の日常に感謝し、日々を丁寧に生きていけたらいいですね。