小紅色

食と趣味と息子の話

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車椅子の息子と 〜バリアフリーはどこまで必要か?〜

先日あることがきっかけで過去のモヤモヤを思い出してしまった。

けっこう前のことだけど「大阪城にエレベーターは必要か」という問題で、健常者と障害者が言い合っているニュース映像である。

健常者側は「当時の城にエレベーターなんてなかった。歴史的な建物にエレベーターがあるなんておかしい」という言い分。

障害者側は見学することをまるで「我慢しろ、諦めろ」と言われたように感じて落ち込んでいた。

その映像を見てすごく気持ちがモヤモヤしたことを思い出した。

 

そのことを夫にどう思うか聞いてみたらスッキリする答えが。

大阪城がどういう目的で建てられたかによるだろうけど、観光目的に作られているならバリアフリーにするのは当然」

なるほど。

・歴史的価値に重点を置く「忠実な再現」ならエレベーターはつけるべきではない。

・経済活性に重点を置く「観光のため」なら、広く多くの人が利用できるようにバリアフリー化は必須。

あくまでも夫の意見だけど、私の中で納得することが出来ました。

 

そして夫はもうひとつ、私自身が気付いてなかったことを話をしてくれました。

「入場無料の施設はバリアフリー化されてないことに文句を言うこともなく、あっさり諦めることが出来るよね」

確かにそう!

神社・公園・展望台などは、車椅子でも利用出来たらラッキーぐらいに思っている。

段差や階段で行けなくても私が文句を言うことはない。

逆に有料施設で整備がイマイチなところに対しては不満を口にしてしまうことも。

有料か無料かでバリアフリーに対する私の許容度が違うことに、夫に指摘されて初めて気が付きました。

相手の立場になって物事を考えるということは、実際はかなり難しい。

当事者にならないと分からないことも多いから。

 

息子自身は我慢したり、諦めることがすっかり身についている気がする。

段差や階段で行けない、ドアが狭くてお店に入れない、そんなことに対してがっかりすることがあっても文句を言うことはない。

息子は「だってしょうがないじゃん」という姿勢で、現実をしっかり受け止めてる。

でも息子だって他の人と同じように、みんなが見たいと思う景色は見たいし、みんなが行きたいと言う場所に行ってみたいし、みんなが食べたいと思うものは食べてみたいんです。

 

バリアフリー化はとても理想的なことだけど、実際に整備するのにはお金がかかるし、維持管理が必要なものもある。

その点はちゃんと理解している。

でもひとつ言わせて欲しい。

せっかくお金かけて整備してくれるなら使いやすいものにして欲しい。

これまですごい傾斜があるスロープだったり、ギリギリの幅のスロープ、使いづらい位置の手すりや車椅子用にしては狭すぎるトイレなどに出くわしてきました。

そんな時は不満を通り越して「やっぱり当事者じゃないと難しいんだろうな」と思ってしまう。

バリアフリーを意識してくれている点はすごくありがたいけど、安全面や使いやすさも考えてもらえるとこちらとしてはすごくありがたいです。

 

バリアフリーはどこまで必要か?

正直分かんないです。

既存の建物を整備するのはかなり大変だし、無理やりスロープ付けて結果優しくないバリアフリーになってしまったのを見てきたし。

でも理想を言えば息子が他の人と同じように観光が出来たらありがたいですね。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。