息子がテレビで女子ゴルフを見ながら
「もし僕が健常者だったらプロゴルファーになりたかったな」
「ねぇママ、歩ける人のこと健常者って言うんでしょ?」
「そうね、歩けることも健常者であることの条件のひとつだけど、健常者とは障害者に対して分かりやすく表現しただけで、本当の意味での完璧な健常者はいないんじゃないかな…」
となぜか「健常者」という言葉に引っかかり、ひとりぶつぶつとつぶやいてしまった。
健常者とは何だろう。障害がない人というよりは、障害という判定、診断をされてない人、そして日常生活に支障がなければ健常者という括りになるだろう。
障害のグラデーションというのはうまい表現で、はっきり境界線が引けるわけではない。
私自身、健常者のふりして生きているけれど、遺伝的要素や性格的なことを考えると薄く発達障害は持っいるだろうな。
障害者を差別してる人だって、障害の要素を持っているかもしれない。
そしていつも思うのはいつ障害者側に転ぶか分からない、背中合わせな人生ということ。
誰もが怪我や病気、老化によって障害者と呼ばれる側にいく可能性はあるのにね。
それなのに健康な時はそんなことが自分自身の起きうるかもしれないとは想像できずに、障害者を憐れんだり、見下したりしてしまう。
息子の何気ない質問に、色々と考え込んでしまった日でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。