小紅色

食と趣味と息子の話

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障害者を揶揄する人たち

障害者を揶揄するような動画があげられて物議を醸していた件について、障害者を家族に持つ者として意見を書こうと思ってすっかり忘れてました。

でもなんかふと思い出したので個人的な意見を書こうと思います。

そういった動画があげられたことについて怒りはまったくなく、かわいそうな人たちと思いました。

だって彼らは何も知らない。

健常者で生まれて、健常者として育った彼らは、死ぬまで健常者でいれると思っているはず。

そう、自分が何かのきっかけで障害者になるなんて想像しないし、出来もしないはず。

自分だけは大丈夫だと思っている人たち。

「知らない」ってある意味しあわせで、怖くないからあんなこと出来るんです。

健常者で生まれて育っても、ある日突然事故や病気で障害者になることを知らない。

病気の進行や、老化によって障害者と同じような状況になる場合もあることを知らない。

でもそんなこと知らないから、自分の運命の分岐の先にそんな将来が待ってるかもしれないんて想像すら出来ないんです。

そして誰もがグラデーションの中に位置していることも知らないのでしょう。

「障害者差別をやめましょう」だけでは足りないですよね。

もっと知識を補うような情報が必要です。

あの動画で思ったのは、あの人たちが所属するコミュニティでは、もし将来あの中の誰かが社会的弱者になったときはああいう態度をとられるということです。かわいそ。

もっと知識だったり、想像力を働かせることが出来る正しい情報があったら、あんな軽率な行動はとらなかったでしょう。

知らないから理解出来ない、しようとしない。

知らないから差別が起こると思っています。

現代は知りたい情報しか得ようとせず、情報の偏りもあってなかなか難しい時代になってきたと思います。

「知らないでは済まされない」ってよく言うけど、ほんとに知らなかったかわいそうな人たちを責めてもどうしようもない気もしてます。

私たちは「障害者」を差別するなと言っている一方で、「想像力の欠如した人」を理解しようとせずに差別しているんでしょうね。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。