小紅色

食と趣味と息子の話

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車椅子の息子と ~もしも障害がなかったら~

息子がもしも普通に歩けたていたら、障害がなかったら、なんてたまに考えたりすることがあります。

海水浴やキャンプ、アスレチックとか、キャッチボールとか、将来子どもと一緒にやりたいと思っていたことがたくさんありました。でもその夢は叶わず…

息子が小さい頃は出来ないことばかりに目が行き、悲観することも多かった気がします。

でも息子を育てているうちに考え方って変わるものですね。今では「息子に障害がなかったら」と考えると、自分がとても悲惨な人生を歩んでいたんじゃないかと想像してしまいます。

息子の子育ては、私にとって初めての育児で戸惑うばかり。地元を離れて、親も頼る人もなく、しかも息子は未熟児で発達が遅い。夜は寝ないし、神経質ですぐ泣くし、正直大変でした。

その後1歳を過ぎて脳性麻痺の障害があることが告げられ(新生児の時も脳の萎縮はあるように見られたが脳が小さいのでまだはっきりとしたことは言えないとその時は診断されなかった)、療育ということで母子通所施設へ通うことになりました。

この時に出会ったママ友たちがほんとに気の合う人たちで、今でもその関係は続いています。だから息子に感謝なんですよね。息子が巡り合わせてくれた縁がほんと不思議でならないと思うぐらいありがたい出会いでした。

一口に障害と言っても、その種類だけでなく、障害の程度も様々で、誰一人比べようがないです。だから他人と比べるのではなく、自分の子どもの小さい成長でも喜ぶ、そんな優しい世界に身を置けたことは私にとってはすごくよかったです。

もし障害がなかったら、競争社会の中で教育ママとして息子を追い詰めていたかもしれません。そんなことを考えると恐ろしいです。出来て当たり前、なんていう考えで生きていたかもしれません。

息子が初めてタマゴボーロを一人でつまんで食べたのを見た時に嬉しすぎて泣きました。それくらい小さい成長を喜ぶことが出来る子育てをさせてもらって私は幸せですね。あの時のことを思い出してまた泣いてしまうくらいです。

息子のおかげで今の私がいます。子育てをしてて思ったことは、私のほうが息子に親として人として育ててもらったということです。

たぶん息子が私がいなくても生きていけるような子どもだったら、私は自分の人生を投げ出していたかもしれません。それくらいずっと自分が生きてる意味が分からないと思い続けていたので。

私は息子を育てるために生かされ続けて、人生放り出せない状況におかれて、人として成長出来たのかもしれません。そう考えると私は息子によって生かされ育てられたんですね。変な感じ。

そしてただ一つ言えることは生まれてから今までずっと息子がかわいくて仕方がないです。手のかかる子はかわいいなんていいますが、まさにそれかも。

息子自身も障害ああることはあまり気にしてないようです。息子に「みんなみたいに歩いたり走ったりしてみたい?」と聞いてみたことがあります。「歩けたらいいけど、実際出来ないからね」と。たられば言ったところで仕方がないと、息子の方が達観しているようでした。実際自由に歩いたり走ったりする感覚が分からないので現状もどかしさはないようです。

今は気にしてないようですが、将来障害があることに悩むかもしれません。いつだったかYouTubeで何かの動画を見たあとに「ママ、僕障害あってごめんね」と言われたときは「なんでそんなこと言うの?!」と悲しくなりました。

「障害があることが悪いことでないし、謝るようなことでもないよ」と話しました。
いっそのこと障害のある体に産んだ私を恨んでくれ!というのが親心ですね。さすがにそこまでは言えませんでしたが。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。