ある日のこと。夫が「今の若い子は十二支全部言えないみたいだね~」なんて言って帰ってきました。実は十二支が全部順番に言えるのが常識かそうじゃないかで周りで揉めたとか。
夫も部下を持つようになって、育った環境や世代によって常識は変わるものだから、自分の常識押し付けるのはよくないねって言ってたばかり。だから夫は中立でいたようですが、周りはけっこう揉めたようです。
きっかけはある人が「来年何どしだっけ?」と言ったのに対して「そんなのまだ分からないでしょ」と若い子が返したことだったようです。それで「ええっっ?」となったようです。
その若い子は年末に今年の漢字が決まるように、毎年「来年はこの干支でいくね」って誰かがランダムに決めていると思っていたそうです。だから今は年初めで来年の干支は発表されてないと。まあローテーションあると分かってる人から見たらびっくり発想ですね。
そこで十二支全部順番に言えるのが常識でしょうという話になったそう。いや~そう言われても、私だって自信もって言えるのは最初の6つで、後半はぼんやりとしか覚えていません。
若い子の言い分としては「そんなの授業で習っていない」「知らなくても困らない」とのこと。確かに言われてみれば、宗教的要素があるためか学校で習った記憶は確かにありません。そして私も後半あやふやだけど実際に困っていません。
常識だと言い張る人は「小さい時に絵本読んで覚えただろ」とのこと。干支の順番を決める話が書かれた絵本のようです。
「絵本?何それ。私知らないけど、パパ知ってた?」夫もそんな絵本知らないようです。じゃあ夫はどうやって覚えたかというと、小さい頃に親に覚えるまで何度も言わされたとのこと。お義母さん、案外スパルタだったんですね。
私はというと、おばあちゃんにさらっと教わり、あとはテレビで流れていた干支の歌でなんとなく覚えた感じです。なんとなくだから後半あやふや。
そこで夫が息子に十二支言わせたてみたら、見事に前半だけちゃんと言えて後半あやふや。教える私が適当だったせいで私と同じあやふや状態でした。
十二支全部順番に言えないからってそれを常識ないとは言えないでしょう。自分たちはたまたま教わる機会があっただけで、誰もが教わる機会に恵まれるとは限りませんから。教わる機会がなければ、または興味をもって自分で調べる機会がなければ覚えることはないでしょう。
干支の順番決めで、牛の背中に乗ってたねずみが最後ゴールの所で牛の前に飛び降りたから一番になったというのは私も知っていた話。でも夫は今回のことで初めて知ったそうです。そんな話を知らなくても困りはしないけれど、雑学が増えるって単純に楽しいですよね。
学校で習わないことだからこそ、絵本から、親から、おばあちゃんから、歌から、みんなそれぞれ教わる機会に恵まれていたということに気付くことが大事ですね。
ちなみに今回のことがあって息子はきちんと十二支順番に覚えました。もちろんパパ直伝の覚えるまで何度も繰り返すっていうやつ。まあ半分覚えていたので後半3回繰り返す程度で済みましたが。
最後まで読んでいただきありがとうございました。