小紅色

読書とピアノと息子が癒し

愛されたいと思わなくなりました

結婚当初からつい最近まで愛されたい、愛されている実感が欲しいと思っていた私。日々の生活の中で愛されている実感はなく、そのうえ自己肯定感が低く、そもそも自分が生きていることに意味なんてあるのかなー、と悩むようなタイプの人間でした。

「愛されている」=「必要とされている」みたいな、生きていていいよと存在意義を認めてくれるようなものだと思っていました。

さて今回このテーマにしたのは、図書館で面白そうと思って借りてきた本が妻として愛されるためのハウツー本だったからです。でも実際手にして読もうと思ったとき、今の私に必要な本なのか、まだ心のどこかで愛されたいと願っているのか、いやいやもう愛されたいと思っていたのは過去の自分だよね、と色々自分に対してのツッコミが。

「愛されている」なんて幻想でしかないですよね。相手の本当の気持ちなんて一生分かりっこないんですから。どんなに言葉を並べられてもそれが本心だなんて確かめようもないんです。ましてや演技派で八方美人の夫の本心を知ろうなんてしたら逆に疑心暗鬼になりそうです。

結婚生活も長くなり、周りでは積もり積もった夫への不平不満、家庭内別居、挙句の果てには離婚など夫婦生活の破綻を耳にすることあります。そんな話を聞いて、嫌いになってしまった人と一緒に生活するって絶対自分には無理だと思いました。だからこそ夫を嫌いにならずにいれることがどんなに幸せなことかと気づいたんです。

私は自己肯定感が低いのと、社会経験が浅いことがコンプレックスなので、本を読んでせめて知識だけは得ようと思っています。そこでハウツー本や自己啓発本を読むことがあるんですが、書いてあることだいたい夫がすでに習得していることだったりします。

具体例で言うとアウトプット力の記事でも触れていますが、夫の目立ちたいという気持ちがアウトプット力を高めて能力を取得しています。意識的じゃなくて、自然とやって結果的に身についているから「夫すげーっ」と感心してしまいます。

こんな風に本を読むたびに夫の凄さに気付いていく私なので、年々夫に対しての尊敬度は増しています。ちなみになんで本を読まないと夫の凄さに気付けないのかを話しておくと、夫はあまりにも普通に当たり前にやっているのでその凄さを実感できないんです。それを分かりやすく言語化してハウツーとして本に書かれていてやっと気付くことが出来るんです。夫が普通にこなしていることは、他の人にとってはハウツー本から学ぶことなんだって。

夫のことを褒めちぎりましたが、夫の能力が実際の社会ではどれぐらいの物かは知りません。上には上がいますからね。ただ私から見たら尊敬に値することは確かです。社会からの評価よりも、私が尊敬できる人であるかが重要です。この年になって夫を尊敬できるってほんとに幸せだなって思います。

そして最近気付いたもう一つのことは、夫が面白いって最高だなってことです。いつも笑わせてくれるので息子もパパ大好きだし、なんてったって夫といる時間が楽しい!息子にも「ママいい人と結婚したでしょ」とつい言っちゃうくらいです。

色々書きましたが「愛されたいと思わなくなりました」という本題に戻りたいと思います。夫の本心なんて一生分からないけれど、そのかわり自分の本心は確信持ってこうって言えますよね。だから今言えるのは尊敬できて面白い夫がいて私は幸せだということ。確信が持てる自分の気持ちが大事だということ。

「愛されているんだろうか」と確かめようのない不安な気持ちを手放して楽になれました。幻想だと気付くのに随分と時間がかかってしまいましたが、気付かずに一生苦しむよりはマシですね。相手の気持ちを軸に置いてしまっていたから不確かな気持ちに振り回されていたんです。自分の気持ちを軸に置いたら、確信できる気持ちなので揺らぎないものになった、そんな感じです。

夫の気持ちなんて知りようがないけれど、私は尊敬出来る夫といるのが楽しくて幸せ。自分が楽しくて幸せだという気持ちに確信が持てたら、愛されたいなんてどうでもいいこと。そして愛されたいという気持ちを手放した私はもっと幸せになれた気がします。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。